建物はただそこに存在するだけではありません。時には雄弁な語り部となり、私たちに様々な「記憶」を語りかけてくれます。今回は、1968年以降の日本の現代建築、特に博物館や記念館といった「記憶」を扱う建築作品を例に、「記憶」がどのように建築に表現されてきたのかを探っていきましょう。
建築が映し出す「記憶」のかたち
論文「現代建築作品における「記憶」の概念の主題とその表象に関する研究 ─1968年以降の博物館・記念館・資料館の事例分析を通して─」では、1968年以降の日本の現代建築における「記憶」の表現方法を分析しています。その中で、「記憶」は人それぞれのものですが、建築はそれを呼び起こし、共有するための力強い媒体となり、現代建築では、主に以下の7つのテーマを通して「記憶」が表現されてきたと論じています。
- 環境と一体になる「記憶」: 五感を刺激する空間体験を通して、心が揺さぶられるような記憶を呼び起こします。例えば、周囲の自然と溶け込むような建築や、光と影の演出によって特別な時間を刻む空間などがあります。
- 例:土門拳記念館(山形県酒田市)
写真家・土門拳の作品を展示するこの記念館は、周囲の自然と建築が見事に調和しています。池の上に浮いているような展示空間は、土門の作品世界を象徴すると同時に、訪れる人に自然と作品を対峙させるような体験を提供します。
- 例:土門拳記念館(山形県酒田市)
- 風景に刻まれた「記憶」: その土地ならではの風景や景観と建築を調和させることで、その場所に息づく歴史や文化を浮かび上がらせます。周囲の景観と一体化するような形態や、伝統的な街並みを尊重したデザインがその例です。
- 象徴として語り継ぐ「記憶」: 特定の人物や出来事、思想などを、建築要素を用いて象徴的に表現します。人物の功績をたたえるモニュメントや、歴史的出来事を伝える空間構成などが挙げられます。
- 時間軸を繋ぐ「記憶」: 建築空間の中で時間の流れを感じさせ、過去・現在・未来を繋ぐことで、歴史の重みや未来への展望を提示します。歴史的な建築要素を現代的に再解釈したり、時間の経過を感じさせる素材を選ぶ手法などがあります。
- 伝統を受け継ぐ「記憶」: 日本の伝統的な建築様式や空間構成を現代に蘇らせることで、先人たちの知恵や美意識を継承します。木造軸組構造や、縁側のような中間領域などがその代表例です。
- 場所に根ざした「記憶」: その土地が持つ歴史や風土、文化といった文脈を建築に反映させることで、その場所への愛着や誇りを高めます。地域特有の素材や工法を活用するなど、土地との結びつきを大切にします。
- 風土と共鳴する「記憶」: その土地の気候風土に適応した建築様式や空間構成を取り入れることで、自然と共存する心地よさや、その土地ならではの生活様式を伝えます。地域の気候に対応したパッシブデザインや、伝統的な家屋に見られる風通しや採光の手法などが挙げられます。
時代とともに移り変わる「記憶」の表現
論文では、1968年以降を4つの時期に分け、それぞれの時代の「記憶」に対する意識の変化を分析しています。
- 第Ⅰ期“思考の発散”(1968-1984): モダニズムの崩壊後、様々な建築思想が生まれ、表現方法も多様化した時期。風景を取り込むなど、環境との調和を重視した作品が増加しました。
- 第Ⅱ期“ポストモダニズム”(1985-1995): ポストモダニズムの影響を受け、歴史や伝統を引用した象徴的な建築が主流に。装飾性や物語性を重視したファサードデザインが特徴です。
- 第Ⅲ期“建築の本質性”(1996-2011): 建築本来の機能や空間体験を重視する傾向が強まり、内部空間の構成や時間の流れを意識した作品が増加しました。
- 第Ⅳ期“ローカリズム”(2012-2021): 地域の文化や風土を見直し、その場所に根ざした建築が注目されるように。地域固有の素材や工法を用いた、サステナビリティを意識した作品が増加しました。
このように、「記憶」の表現方法は時代とともに変化してきましたが、その根底には、人々の記憶や経験を共有し、未来へと繋いでいきたいという建築家の想いがあるのではないでしょうか。
まとめ
建築は、過去の記憶を留めるだけでなく、未来へ向かう私たちに大切なメッセージを語りかけてくれます。建築を通して「記憶」の物語に触れることで、私たち自身のアイデンティティや、これからの未来について考えるきっかけを与えてくれるかもしれません。
ぜひ、街歩きを楽しむ際には、そこに建つ建築が語りかける「記憶」の物語に耳を傾けてみてください。
参考論文
- 高坂啓太, 末包伸吾, 後藤沙羅, 増岡亮: 現代建築作品における「記憶」の概念の主題とその表象に関する研究 -1968 年以降の博物館・記念館・資料館の事例分析を通して-, 日本建築学会近畿支部研究報告集, 第 63 巻, pp.393-396, 2023.