本稿は、建築家・宮本佳明氏のインタビュー資料に基づき、氏の建築観、特に「終わりのない建築」という概念を中心に、氏の作品や活動を通して考察するものである。
Contents
阪神大震災と「ゼンカイ」ハウス:建築の欠落と可能性
宮本氏の建築観を語る上で欠かせないのが、1995年の阪神大震災とその後の復興過程における経験である。当時の復興政策は、損壊した建物の解体を促進するものであった。そこで宮本氏は、震災で被災した自邸を安易に解体するのではなく、鉄骨ブレースで補強し、震災の傷跡を残したまま住み続けることを選択した。この住宅は「ゼンカイ」ハウスと名付けられ、氏の建築に対する根源的な思想を体現する存在となっている。
「ゼンカイ」ハウスは、単なる震災遺構ではなく、時間の経過と共に変化し続ける、まさに「生きている建築」である。木造部分は老朽化し、鉄骨部分はより住宅を支える存在になっていく。宮本氏は、将来、誰かがこの住宅をさらに改修してくれることを望んでおり、建築は世代を超えて継承していくべきものだと考えている。
「記憶の器」としての建築:風景とアイデンティティ
宮本氏は建築を「記憶の器」と捉えている。この「器」は、人間の記憶や経験を宿し、時間の流れと共に変化していく、動的な存在である。そして、建築を取り巻く風景全体もまた、記憶の器となり得ると氏は考えている。
東日本大震災後、宮本氏は被災地を訪れ、津波によって基礎だけが残された風景を目の当たりにした。そこで氏は、残された基礎が、かつてそこに存在した人々の生活や記憶を留める、重要な役割を果たしていることに気づく。そして、これらの基礎を花壇として残す「基礎のまち」という提案を行った。
この経験を通して宮本氏は、震災の記憶だけでなく、震災以前の平和な日常の記憶もまた、人々にとって大切なものであると認識するようになる。そして、「ゼンカイ」ハウスもまた、震災の記憶だけでなく、自身の家族や自身が過ごしてきた日常の記憶を宿す場所となっていることを再認識するのである。
土木と建築の融合:「Do-Ken marriage」
宮本氏の作品の特徴の一つに、土木と建築の境界を曖昧にする設計手法が挙げられる。氏の提唱する「土建空間論」は、土木構造物と建築空間を一体的に捉え、両者の関係性を再定義しようとする試みである。
例えば、「SHIP」と名付けられた住宅では、コールテン鋼とコンクリートを組み合わせることで、土木と建築の境界線を曖昧に表現している。また、「クローバーハウス」では、既存の石積みの擁壁をくり抜き、鉄板を立てることで住宅を構築している。これらの作品において、土木構造物は単なる下部構造ではなく、建築空間と密接に関係し、空間体験を規定する重要な要素となっている。
宮本氏は、土木と建築の融合を「Do-Ken marriage」(土建の結婚)と表現し、両者の調和によって、より豊かな空間が生まれると主張する。そして、残るものと代謝していくものの線引きは、固定的なものではなく、状況や考え方によって変化するものだと考えている。
建築の終わりと再生:資材性とコンバージョン
宮本氏は、建築は必ずしも物理的な消滅によって終わりを迎えるとは限らないと考えている。建築は、その用途や役割を変えながら、新たな生命を吹き込まれる可能性を秘めている。
その具体例として、宮本氏は「資材性」という概念を提示する。これは、建築が本来の用途を超えて、様々な形 で再利用される可能性を示す言葉である。例えば、バケツは水を汲むだけでなく、植木鉢や楽器など、様々な用途に転用することができる。建築もまた、その形状や素材、空間構成によって、多様な可能性を秘めていると言えるだろう。
宮本氏は、学生に対して、既存の建物を新たな用途に転用するコンバージョンの課題を課している。これは、建築の潜在的な可能性を見出し、新たな価値を創造する力を養うための試みである。
廃墟の魅力:時間と自然が織りなす美
宮本氏は、廃墟にもまた、独特の美しさを見出している。廃墟は、時間の経過と共に風化し、自然と一体化していく。そこには、かつての人間の営みや記憶が、静かに佇んでいる。
宮本氏は、廃墟を前にすると、考古学者のように、その建物の歴史や構造、かつてそこで生活していた人々の様子に思いを馳せるという。そして、廃墟は、完成した建物よりも、その構造や素材、かつての用途を想像しやすいという点で、建築家にとって興味深い対象であると述べている。
建築の未来:自分自身の尺度で感じ、考える
インタビューの最後で、宮本氏は、建築の未来は、作り手だけでなく、利用者や社会全体で考えていくべき課題であると述べている。そして、建築の価値を判断する際には、既存の概念や常識にとらわれず、自分自身の尺度で感じ、考えることの重要性を説いている。
「良いと思うものは良い」という宮本氏の言葉には、建築に対する揺るぎない信念と、未来への希望が込められている。そして、氏の建築は、これからも、人々の記憶を宿す器として、時間の流れと共に変化し、成長し続けるだろう。